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沿革

日本女子体育大学新体操部の沿革

日本女子体育大学の新体操部は、1971年キューバのハバナで開催された世界選手権大会出場に期待をかけた池谷眞理子選手の出場がかなわず、世界を遠くに感じたが1973年第6回新体操世界選手権大会(オランダ/ロッテルダム)には、丸物幸子が初めて出場し、第7回新体操世界選手権大会(スペイン/マドリッド)には、森野容子、平口美鶴と丸物幸子(補欠)日本代表として出場しました。
この大会で森野は個人総合第5位と日本人としては初めて入賞。平口は種目別輪で優勝する画期的な時期でありました。
その後、1976年モントリオールオリンピックでは開会式のデモンストレーションに森野容子、平口美鶴、桝田雅恵が参加しオリンピックというものを強く意識しました。

1977年にはスイスのバーゼルで世界選手権大会が開催されたが団体体操が惜しくも出場を逃しましたが、同年の全日本新体操選手権大会(福山市)で世界選手権大会出場チームを破り優勝した事は選手全員の大きな励みになりました。

1982年の第3回四大陸選手権大会(ニュージーランド/オークランド)では、富田朋子が個人総合第3位、さらには第4回四大陸選手権大会(アメリカ/インディアナポリス)において、佐藤千恵子がロサンゼルスオリンピックで個人総合優勝したロリー・ファンをおさえ、種目別・輪で優勝(個人総合第2位)を飾った。
当時活躍した選手としてはイオン主任コーチ岡久留実、橋本千波(ペガサス主幹)、原田千江美(高校教員)、工藤由佳里(現在競技ダンスで活躍)等が上げられます。

1992年には山田海蜂がバルセロナオリンピックに新体操部として初めて出場を果たしました。その後、山田は1993年にアリカンテの世界選手権大会で14位となり、1994年に第9回四大陸選手権大会で個人総合優勝、アジア大会で個人総合第3位、1995年にはユニバーシアード入賞、そして2度目の世界選手権大会(オーストリア/ウィーン)大会では個人総合19位となりました。

4年間の大学生活で数々の大会に出場し、卒業後は2度目のオリンピック(アメリカ/アトランタ)にも出場しました。2000年には中嶋理恵と稲田亜矢子(附属二階堂高校)がシドニーオリンピックに出場し、団体総合5位に入賞しました。

団体体操では1987年の全日本新体操選手権大会の「輪とリボン」の部で優勝、1988年「こん棒」の部で優勝、1995年には「輪」の部で優勝と国内の上位に位置しています。
国外においても、オーストリア(1993年)、ハンガリー(1994・1996・1998年)、ドイツ(1995年)の国際競技大会に出場し、オーストリアでは第2位、ハンガリーでは第4位と健闘しました。
2003年5月には、ポーランドで行われたバルティックカップに団体体操チームが出場し、総合5位、種目別フープ・ボールで第4位となりました。この大会はアテネオリンピック前という事もあり、オリンピック出場チームのロシア・ベラルーシ・ポーランドの参加する大会で選手達にとっては同じフロアーで競技するという大きな経験が出来ました。

2006年4月にはロシアのサンクトペテルブルグに団体体操と中野紗耶可が出場し、団体体操は総合5位、中野は個人総合11位でした。その後中野はアジア大会に出場し、国別第2位となりました。2008年は川原唯がミンスク/ベラルーシのワールドカップシリーズ大会に出場しました。

2008年は北京オリンピックに本学の稲垣早織、田中琴乃(附属二階堂高校)、遠藤由華(STELLA)が団体体操で出場し、部員の新体操に対する意識を高めてくれました。2009年三重の世界選手権大会にも出場し国内での開催に大いに盛り上がりました。2010年は、ロシアの世界選手権に本学の田中琴乃(1年)、遠藤由華(1年)が出場し、団体総合6位入賞、種目別フープ5、リボン3ロープ2でも6位入賞しました。

2010年の全日本新体操選手権大会では33年ぶりに団体体操が総合優勝をしました。種目別フープ5でも優勝し、3冠のうち2冠を獲得しました。
昨年は8月に中国で開催されたユニバーシアード大会に日本代表として団体チームが出場し、団体総合及び種目別で銅メダルを獲得しました。9月にはフランスのモンペリエで開催された世界新体操選手権大会に本学2年生の田中琴乃、遠藤由華が日本代表チーム選手として出場し、5位という成績で来年のロンドンオリンピックの団体出場権を獲得しました。また、11月に開催された第64回全日本新体操選手権大会では団体総合で2連覇を果たし、総合優勝に続き、種目別2種目でも優勝を成し遂げました。
この完全優勝の快挙は、卒業生をはじめ、多くの皆様方の温かく熱い励まし、御指導の賜物と深く感謝しております。誠にありがとうございます。

「忍耐と努力」をモットーにこれからも頑張っていかなければと思います。